波乱万丈ランプ変遷記
人間の手によって生まれた光源は、今から約2,000年前の縄文時代に、木の枝や枯れ草などを燃やし、闇夜を照らすあかりとして誕生し、燃焼光源時代を築きました。
やがて動物油・植物油を石器や土器・貝殻などに入れ、その油を灯芯に浸して点火するオイルランプへと様相が変化します。ともし火からオイルランプへ、いつ、どこで変貌を遂げたのかは定かではありませんが、最古のランプとして現存しているのは、フランスのラ・ムート洞窟から出土した砂岩製のランプではないかと言われています。
オイルランプは、急須形、土製、陶製、金属製へと姿形を変化させ、長年にわたってさまざまな家屋に普及しました。しかし、アメリカのB.シリアンの石油ランプの登場により、オイルランプの姿は次第に消え去り、その後電気エネルギーの発見により、燃焼光源時代にかわる電灯・電球時代が到来します。
1808年、イギリスのH.デービーが発明した最初の電灯、アーク灯により、電灯・電球時代の幕が開かれました。しかし、デービーの発明したアーク灯は光度が高いためまぶしく、炭素蒸気を出して空気を汚してしまうので、街路灯に使用できる程度のものでした。また、同じ時期にイギリスのド・ラ・リュがプラチナのフィラメントを使った白熱電球を作りましたが、寿命が短いわりに高価で、実用には至りませんでした。
波瀾の幕開けをした電灯・電球時代に希望の光を灯したのは、イギリスの科学者W.R.グローブです。彼は1840年、プラチナフィラメントの白熱電球を発明し、実用化へとこぎつけました。
1860年にはイギリスのスワンが、紙を炭化したり、綿糸を硫酸で処理した炭素電球の製作に成功するなど、グローブの白熱電球実用化を機に次々と明るい話題がこの時代を華やかにします。そして1879年、ついに現代の白熱電球の基盤ともいえる、T.A.エジソンの炭素電球が発明されるのです。
「天才とは99%の努力と1%のインスピレーションからなる」をモットーにし、「わたしは発明を続ける金を手に入れるために、いつも発明する」と述べた、工夫と創造の発明家エジソンが、終生のうち最も想像力盛んな1876~1881年に、白熱電球は発明されました。
1878年から白熱電球の研究に没頭したエジソンは、水銀排気ポンプの改良と、炭素フィラメントの採用により、翌1879年10月21日、40時間以上も発光し続ける電球を創ることに成功します。そして、フィラメントの材料に竹が適していることを知り、世界中の竹を取り寄せて調べました。その結果、日本の京都付近の八幡の竹が最適であることがわかり、その後約10年間もこの八幡竹を使用し続けたそうです。
さらにエジソンは、電球を普及させるために、ソケット、スイッチ、安全ヒューズ、積算電力計、配電盤の設計など、電灯の付帯設備から配電、送電、発電にいたる全ての体系を創出しました。
一方、放電灯はアーク灯に始まり、1859年にドイツのガイスラーがガイスラー管を発明したのですが、白熱電球の目覚しい発達の陰に隠れてしまい、あまり注目を集めることができなかったようです。しかし、1893年にムーアのムーア灯によって体裁が整い、その後1914年にネオン管、1938年にはアメリカのインマンが蛍光ランプを発明します。
さまざまな失敗や成功により改良された電灯・電球は、時代とともに、また、人々の生活とともにさらに進化してゆきます。そして、今日では人々の暮らしを彩るかがやきとして、白熱電球、蛍光ランプ、ハロゲンランプ、HIDランプなど、いろいろな光源へと成長し、誰もが手軽に『あかり』を手に入れられる時代となったのです。
<NECランプ・安定器カタログ(平成15年6月発行)より抜粋>
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